喧嘩両成敗
昔の日本の法律だったのでしょうか、時代劇ではいさかいがあるごとにこの言葉が
使われておかっぴきが仲裁に入っていましたね。
私はこの喧嘩両成敗が好きです。
今は勧善懲悪の世界で、喧嘩というものはどちらが悪いかを押し付けあっているよ
うなもので、それは極個人的レベルから世界レベルにまで当たり前のようになって
きています。裁判で喧嘩両成敗なんていってたら検事も弁護士も商売になりませ
んものね。
でもそんな世の中って殺伐としておかしいと思うんです。
喧嘩するってのはどちらがどちらとも理性を置いておいて顔を赤くしながら憎しみ合
うことですよね?私にはこの時点で双方醜いことをしていると思うんです。
どっちが正しいとかそんなことはそれほど重要ではなくて、なぜ憎しみあっているの
かっていう、本質を見たときに結局はどちらとも「人を憎んでいる」って言う罪を犯し
ているんですから。
私は会社の上司に口答えして喧嘩になった時や、恋人、友達と喧嘩した時、相手が
当人の全面的な非を謝っていたとしても、こちらもその倍のつもりで謝ります。
「ごめん」「申し訳ない」この言葉で例えなぜ憎まれたか理由が分からなくても自分
自身の非を見つけて、自分自身で裁くこと。
お互いが謝りあうことでお互いに相手を立てるという心理が働き、そういうことが世の
中を平和にできると思うんです。
罪を許すんじゃありません。
自分の非も裁くんです。
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