高校は第一志望の工芸高校を失敗して普通化に進学しました。
そこは2年生から美術コースを希望できるので。
2年生になって迷わず美術コースに移動して、そこで週4回の実技勉強。
油絵とデザインの授業は苦痛ではないにしても苦手だったので
クラス20人ほどの平均以下の成績でしたが
デッサンの授業だけはトップ集団から1度もあぶれることなく
乗り切ることが出来てました。
少なからずこの時の自信が今の活動の後押しになっていると思います。
そして、高校を卒業。宝塚造形芸術大学(現宝塚大学)へ進学。
慣れ親しんだ富山を離れ、一人兵庫県は宝塚市へ移住しました。
この頃大学では建築関係だったのでパースの実技とアーバンデザインの
イメージスケッチ以外はあまり絵が関係なくなってまして
絵に関しては学校の教授で師と仰ぐ方がいらっしゃらなかったのですが
(卒業後4年間個人的にお世話になる教授がいらっしゃいますが)
趣味とか個人で細々とやってた絵の活動では師匠がおります。
それが森気楼氏。
SNKっていう格闘ゲームに強いメーカーの格闘ゲームのキャラクターを
描いていた人ですが、格闘ゲームだけに筋肉とか、しっかり描けて
なくてはいけないので、陰影とか実にリアル。
顔には森気楼氏の癖がありましたが、日に日にその顔のリアルさの
レベルも上がってるし、CGと併用して化け物のレベルまで行ってました。
私はその森気楼氏の作風の真似から始めて、写真の模写など
とことんリアル一歩手前(ここがミソ)を追い求めてました。
この頃から私は別名義でひっそり活動始めてたので
知ってる人は知ってるかもしれませんね。
つづく・・・
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